<明けましておめでとう御座います>
新年が明けて早々に、少し重たい話をさせて頂きたいと思い、皆さんはどう考えるか、との思いでこの話を書きたく思う。
<善意は本当に報われるのか>
昨年末、ごく親しい人と久しぶりに会ったが、とても気の毒な話を聞いた。
その方自信の、もう随分前の体験談なのだが、結果から言うと数百万の借金を背負う羽目になったと言う事なのだが…
詳しく聞いてみると、人の優しさにつけ込んだユスリやタカリの様な話だった。
今どきは、恐喝、恫喝、脅迫は証拠動画や録音で簡単に証明され直ぐに捕まるように計らえるに、無闇に示談したのがアダとなったようだ。
話は、通院患者の送迎の仕事をするその知人が、ある日、送迎中に単独事故を起こしてしまう、利用者は慢性的な病の高齢男性、この搭乗利用者さんから単独で示談しようと持ち掛けられ、素直に応じたのだそうだ。
その利用者は生活保護を受け、体調不良な生涯孤独な1人暮らし。
そして元暴力団員だった。
これだけで何か嫌な予感がするが、もう古い昔の事。
<ラポールは築かれたが>
知人は変な概念は捨て、人道的な思いから、任意で普段から送迎以外の雑用などの支援を親切に行っていたようだ。
自然とその方とラポールも築けていったらしい。
だから疑いもなく2人だけの示談に承諾した。
警察には届けて会社には報告せずにいた。
訳あってようやく再就職出来た知人は入社間もないので首にはなりたく無かったのだそうだ。
そのあたりから、示談金とは別に、更に支援の要求はエスカレートし、呼び出しが増え、生活費の援助も要求されていく。
仕事の弱みにつけ込むが優しい口調で言い寄る、実に老獪なユスリの様な行為が続いた。
結局、その様な状況が約2年続き、お金が回らなくなった知人は借金をして金銭援助した為、数百万円の負債が残ったのだそうだ。
<ようやく訪れた転機>
そして慢性の病気だったその方は亡くなられ、ようやく便利屋の様な状況から解放されたのだそうだ。
その時、人が亡くなっても、人生で初めて嬉しいと感じ、ホッとしたそうだ。
当時を振り返ると、虚弱な老人で謙虚そうな後期高齢者が、まさかあんなに執拗な要求をするなんて思わなかったらしい。
自身の身内にも相当非難され、厳しい指摘も受けたらしい。
家族からすれば愚かな判断だと叱責されても仕方ない…あの頃の自分は誰にも相談せず、自分は本当に気が弱く、脇が甘かったと言っていた。
借金だけが残り今でも残債を払っていると聞き、気の毒で仕方がない。
少なくとも亡くなられた方の最後の約2年間は、人の優しさにつけ込んで、ある意味有意義に暮らせたはず。
<まとめ>
これは、普段からそうしていた様に結果的にも人の支援として終わったのだから、この善意はいつか報われるべきだと私は思う。
新年を迎えるにあたり、どうかこの知人に幸運が訪れるよう祈っている。
そして、真の優しさとは、時には厳しい目で見る事、断る勇気も大切だと悟り、どうか歪まずにその優しい心は捨てずに持ち続けてほしいと思う。