body&mental care support diary

心と体のバランスを大切にするブログ

「嫌な事があった時の回避へのヒント」

<人はおよそ真実追求型>
例えば、何かトラブルが起きた時や失敗した時、当然、何が原因かを知りたくなる事はある。

ひどい時はそれが、理由を知ったからといって、その後に起きたことは変わらないにも関わらず、何故だ、と病んでしまいそうな時もある。

人の脳が引き起こす勘違いや認知バイアス、つまりモヤモヤについて考える。

<何故失敗やミスの原因を突き止めたくなるのか>

例えば、彼女がデートの約束に遅れた時、遅れた理由知りたいが、聞かずにいる事が難しい…

交通手段の遅れなのか約束を完全に忘れていたのか、それによっても受ける印象は違う。

ある理論によれば、因果を推論する重要な目的のひとつは、未来に起こる事のコントロールだという。

出来事が起きた原因を特定し、災難を避け、いい結果を繰り返し導きたいと思う事は誰にだってあるのだ。
仕事でミスが起きた場合、何が原因でこのようなことになったのか、担当者はどういった対応をしたのかという流れに必ずなる。

つまり、原因を追求しようとする。

もちろん、同じことを繰り返したくないからで、原因を究明することで、他の人が同じミスを犯すのを防ぎたいからだ。

そしてこれと同様の事を人は日常的にも行っているというのだ。

<コントロール出来る事かどうか>

人はコントロールできる事を知りたいと言っても過言では無い。

彼女がデートに遅れたのは車の故障だと分かれば、デートを自分ほど楽しみにしていなかったと分かった時と比べて、関係を続けたい思いが増し、遅刻の原因が怠慢だと分かれば冷める。

彼女がデートに遅れた理由を知る事で、人はある重要な判断を下しているのだ。 

つまり、私達は自分にコントロール出来るかどうかを重要かつ役立つ手掛かりとして見ている。

結果をある原因に帰そうとするのは、それによって未来に取るべき行動を知りたいからで、自分でコントロール出来ない事は基本的に非難しない。

ただ、自分の認識不足や手配ミスだった場合、タラレバになり後悔するだろう。

重要なのは、何によってその物事が引き起こされたのか、自分にコントロール出来る事か否か。

<ろくな事がない夜中の反芻>

失敗や不安な気持ちに対し人は、何故?と原因の追求を始めてしまう。

それは、同じ過ちを防ぐ目的で原因を突き止めようとするからで、反芻すれば、原因が明らかになると思っているのだ。
嫌な事があった日は、夜中、起きた事を何度も反芻してしまう時はないだろうか…

実は、不安な気持ちで問題を反芻するとろくな精神状態にならないのだ。

反芻しても正しい答えや有効な解決方法が出てくるとは限らないのに自分を追い詰めてしまうのだ。

極端に言うと、未来に対する不安や絶望感が強まり、アルコール依存症や摂食障害に陥る恐れもある。

悩みを反芻している自分に気付いたら体を動かしたり、映画を観たり、音楽を聴いたりして自分の気をそらす事が大切。

<深く考え込むほうが真の原因が見えない>

未来をコントロールしたいという本能から、問題が起きると原因を追究してしまう。

ただ、厳密にいうと、原因を問う質問において、答えが見つかるものはひとつも無く、どんな結果に対しても、真の原因が明らかになる事は絶対にない。

<建設的な行動をとり原因に固執しない>

真の原因を究明するなら未来に取る行動の指針や未来に取るべき、又は避けるべき行動の最適解を探す方が良い。

離れた視点からその出来事を見つめ、自責や後悔といった負の感情から解放されら様に心掛け、次に厄介な状況に遭遇した時、解決に向けて建設的に行動出来る様にする。

<まとめ>
人は、危機回避の為に原因を追求するという本能があるが、それによって自分が病むほど追い詰められてしまうのは本末転倒。

この理論を知っておくだけで、今の複雑な社会を少しは生き易くなるのではないか。

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